西にしか無いと思っていた磨崖仏が東北にもあるとのことで、近くに来たので寄ってみました。
大きな岩壁に刻まれた、大きな磨崖仏です。
駐車場に車を止めて受付へ向かいます。
お寺は駐車場があるから助かりますね。
拝観料は大人300円、高校生200円、子供100円です。
受付から奥へ進むと毘沙門堂が現れます。
桓武天皇の時代に蝦夷征伐のため征夷大将軍に命ぜられた坂上田村麻呂が、この達谷窟に塞を構える賊を討つ為にやってきます。
延暦廿年(801年)に賊を討ち破り平定します。
この平定は毘沙門天の御加護があったからとして、ここに清水の舞台をまねて九間四面の精舎を創建し、百八体の毘沙門天を祀ったとのことです。(達谷窟毘沙門堂HPより)
中には確かに毘沙門天像がありましたが、百八体あったかどうか・・・。
他所に祀られているのかもしれませんね。
さて磨崖仏を見学に行きます。
達谷窟毘沙門堂からさらに奥に進むと岩壁に刻まれた磨崖仏が現れます。
前九年、後三年の役で亡くなった敵味方を供養する為、源義家が馬上より弓弰を以て彫りつけたと伝えられています。(案内板より)
高さ約16.5m、顔の長さ約3.6m、肩幅約9.9mあるそうです。
これだけの大きさのものは、なかなか無いですね。
尊名は阿弥陀如来のようです。
この達谷窟毘沙門堂には堂が幾つかありましたが、私が特に見入ったのは姫待不動堂です。
坂上田村麻呂によって蝦夷征伐がなされる以前、達谷窟に賊の塞があった頃、京からさらってきた姫を窟の上流に閉じこめていたのですが、その際に逃げ出さぬように髪を切り、その髪を石に掛けていたそうです。
その石が達谷窟毘沙門堂に来る途中にあった髢石です。(上右の写真)
来る途中に見掛けて写真を撮りましたが、案内がなかったので何だかわからないままでした(笑)。
その後征伐が行われ姫が閉じこめられていたあたりに姫待不動尊として祀ったようですが、藤原基衡が再建し、さらに寛政元年(1789年)に当地に移されたそうです。
平安後期につくられた桂材の一本彫の大師様不動の大像です。
凄い迫力を感じて、暫し見入ってしまいました。
こちらへ見学に来られる際には途中にある髢石も見て来られると、より面白いと思います。
■参考
達谷窟毘沙門堂
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