「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名な山中幸盛のお墓があります。
車を止めるところを探すのに苦労しました。
結局、県道21号の幅のある場所に止めて走って見てきましたよ。
ほんとに階段を上ることと走ることが多いですよ(笑)
山中幸盛は1578年に鞆に本陣がある毛利輝元のもとに護送される途中、備中の甲部川(岡山県高梁市)にさしかかったところの阿井の渡しにて謀殺されたそうです。
1581年に鹿野城主となった亀井茲矩が明照山持西寺を現在の位置に移し、寺号を鹿野山幸盛寺と改めたそうです。
亀井茲矩は幸盛の養女を娶っていたので、舅にあたる幸盛の遺骨を高梁から移して境内に墳墓を築いたのです。(案内板より)
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