江戸幕府によって禁教令がでる少し前に作られたキリシタン墓碑。
原城跡から戻る途中、案内板を見つけて寄ってみました。
案内板が少なくて、途中で道を間違えたかと思いましたが、何とか入り口にたどり着きましたよ。
駐車場が無いので、路肩の邪魔にならなそうなところに車を止めて、細い道を上がっていきます。
途中は、「ほんとにいいのだろうか?」と思うような細い道。
まぁ、今までもこんな道、結構ありましたけどね(笑)
暫く、歩くと墓碑にたどり着きます。
案内板によると、「伝承によれば日野江城主有馬家ゆかりの婦人の墓」だそうです。
墓碑には「慶長拾伍年 流しや 生年二十歳 拾一月拾七日」と刻まれているそうで、「流しや」とは「ルシヤ」のことで、女性のクリスチャンネームだそうです。
詳しくは南島原市のHPで。
側面に彫ってある模様が西洋的ですが、花十字紋といって、キリスト教・キリシタンの象徴として用いられたものです。
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