宮本武蔵が五輪の書を書いた霊巌洞(雲巌禅寺)

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宮本武蔵が五輪の書を書いたという霊巌洞。
実在していたんですね(笑)。
ほとんど時代劇くらいにしか思っていなかったものですから、ちょっとビックリでした。

熊本市内からも車で30分弱、以外と近くにありました。
宮本武蔵が城下から通っていたというので、そんなに遠いはずはありませんね。

雲巌禅寺に着くと仁王像がお出迎え。
下の写真の奥に見える小屋で拝観料(大人200円)を支払い、中へ入ります。

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奥へ歩いていくと五百羅漢があります。

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この五百羅漢は熊本の商人渕田屋儀平が安永8年(1779年)から24年かけて奉納したといわれています。
自然崩壊や廃仏毀釈、大地震等で破損し、完全なものは約半数程度だそうです。
もっとも宮本武蔵がここに来ていのは1643年頃ですから、当時は五百羅漢は無かったことになりますね。

この五泊羅漢を通り抜けると、霊巌洞があります。

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大きな洞がありますが、本来は下から全部洞なのか、それとも床を高くしてあって階段で上がるようにしてあるのかは不明。

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洞の奥には千数百年昔よりここに安置されている石体四面の馬頭観音があります。(残念ながら見ることができませんが)(上中の写真)
また、中央の岩壁には雲巌禅寺の開祖、東陵永ヨ(漢字がないのでカタカナ表記)が彫り刻んだ”霊巌洞”の文字があります。(上右の写真)

あまり奥が深くない洞ですから、中にいても暗くはありません。
ここで五輪の書を書いたということですが、書きにくくはなかったでしょう。
しかしこんな山奥まで来て書かなくても・・・と思うのは私だけでしょうかね。

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