1584年の小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉が不破広綱の籠もる竹ヶ鼻城を水攻めにしました。
今回はその痕跡を見て回りました。
岐阜羽島駅を出発して、最初にやってきたのは羽島郵便局です。
郵便局の前で探していると、道路を渡った電柱の陰にありましたよ。
碑には「一夜堤は1584年5月、羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めにした時急造した堤である。秀吉は総延長約3kmの堤を築き、十万の兵をもって不破源六広綱竹ヶ鼻城主を攻め落とした」と書かれてました。
しかし堤があった形跡は全くないですね。
場所は緑の矢印の所です。
次の場所へ。
こちらは県道151号の竹鼻町今町交差点からちょっと入ったところにあります。
目印はauショップ。
ここも建物の陰にひっそりと碑があります。
やっぱり堤があった面影はないです。
場所はこちら。
さらにもう一カ所行ってみました。
羽島市営斎場の敷地内にぽつんと立ってます。
ここまで3本とも碑文は同じでした。
やっぱり面影も無いのでおもしろみも無し。
場所はこちら。
それならと、水攻めの中心、竹ヶ鼻城跡へ行ってみます。
羽島市歴史民俗資料館の辺りだとのことなので、来てみましたが、それらしきものが無く迷います。
建物を横から見るとお城の形なんですね。
そこに有った案内文を読むと、本丸はどこにあったかわかっていないようです。
口承、地形、文献から推定したもので、石垣などは出ていないそうですよ。
それならと、羽柴秀吉の本陣へ行ってみようと、間島太閤山跡へ行ってみます。
しかしここも何にも面影が無いですね。
間島太閤山といっても「山」は無いです。
時がたつというのは凄いことですね。
これだけ何にもないんですからね。
ただ、間島太閤山跡の案内文を読むと、「畑地の西隅に立つ数本のマキの大木は、かつての小丘のすそ部にあたるという。」とありました。
一つ上の写真の左手奥にある木のことでしょうかねぇ。
間島太閤山跡はこちら。
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