今津元寇防塁

今津元寇防塁

1274年11月の文永の役後に鎌倉幕府が九州諸国の御家人に命じて作らせた石築地の防塁。
今津には当時のものが200mにわたって残っています。

移動中に今津元寇防塁の小さな看板を見つけたので、寄ってみました。
場所は下の地図でも判るようにセブンイレブンの向かい側に入口があります。

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車をセブンイレブンに止めるわけにも行かず、ちょっと入ったところに止めて走って見に行きます。

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県道54号から100mほど入ると長浜海岸の防風林に突き当たります。
その中の小道を進み、最初の十字路を右へ海岸に向かいます。

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そのまま砂浜に出てしまいましたが、元寇防塁は見つからず、諦めて帰ることにしたのですが、見つけてしまいました。

防風林の小道を海岸へは出ずに、途中を右へ曲がると柵が見えます。

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200mほど保存されていますね。

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脇にあった看板の解説です。

鎌倉時代の文永11年(1274年)11月、当時世界の大半を征服した蒙古(元)の国王フビライは日本侵攻を企て博多湾に襲来しました。この戦いで日本軍は苦戦し、博多のまちは大きな被害を受けました。これを文永の役とよんでます。文永の役後、建治2年(1276年)に鎌倉幕府は九州諸国の御家人等に命じ、博多湾岸約20kmにわたって石築地を築かせました。この石築地は元軍の再度の来襲にそなえて、上陸を防ごうというもので、元寇防塁と呼ばれています。この元寇防塁は弘安の役(1281年)の際には日本軍の重要な防衛拠点となりました。今津地区の元寇防塁は日向国と大隅国(宮崎県と鹿児島県の一部)が担当しました。防塁の工法は各国でちがいます。今津地区では、石積み幅が下は3m、上が2m、高さ3mの台形状に築かれています。ここ今津地区ではほぼ完全な姿で残っており、長さ200mにわたり復元されています。元寇防塁はわが国唯一の遺跡として歴史上重要なものであり、国の史跡として保存されています。

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