関ヶ原の合戦跡

関ヶ原の合戦跡

1600年10月21日に徳川家康と石田三成の覇権をかけた戦いが行われました。関ヶ原の合戦です。
東軍(徳川家康方)の武将のほとんどが豊臣恩顧の武将だったところが面白いですね。

岐阜県の西の端で滋賀県まであと少しというところに関ヶ原があります。
町の中心部から北へ行くと石田三成の陣地があった笹尾山があります。

現地には当時を再現したような陣地が築かれています。

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この陣地に上がると展望台があり、関ヶ原を一望することができます。

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中央やや左の山の一番手前当たりが徳川家康の陣があった桃配山のあたりになります。
写真で見ても家康の本陣が近く感じますが、現地だともっと近く感じます。

これだと家康の先陣は石田三成のすぐ近くまで来ていたことになりますね。
実際、すぐ下には小早川秀秋が裏切った後の戦いで最大の激戦地があります。

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また、右手前方には福島正則(東軍)が宇喜多隊(西軍)に一斉射撃を浴びせた開戦の地があります。(下左の写真)
そのすぐ近くには小西行長(西軍)の陣跡もあります。(下右の写真)

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石田三成の陣跡を離れて天満山へ。
ここにある天満神社には福島正則(東軍)から一斉射撃を浴びた宇喜多秀家の陣跡があります。

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五大老の1人である宇喜多秀家は、関ヶ原の合戦では約17,000の兵をつれ天満神社境内一帯に布陣し、中山道をおさえていました。
開戦と同時に福島正則(東軍)から一斉射撃を浴びた後は一進一退の攻防を繰り広げました。
宮本武蔵は合戦当時17歳で宇喜多隊の一兵としてこのあたりで奮戦していたといわれています。

ここからさらに西へ進み、山の中に入ると大谷吉継の墓があります。

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死に装束で出陣してきた大谷吉継はここで死闘を繰り返し、首を敵方に渡すなと言い残して自害したそうです。
この墓は敵方の藤堂家がたてたものだそうです。

西軍贔屓なためか、西軍中心になっちゃいましたね。
最後は西軍の首塚です。

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ここには江戸時代から十一面千手観音と馬頭観世音の堂が建てられ、付近の民衆の手によって供養がなされています。(案内板より)

ここまで車で回りましたが、一部車では入れずに歩いたりしています。(大谷吉継の墓など)
意外と狭い範囲なので東軍の陣跡を含めても半日あれば回れそうです。

■参考
関ヶ原町観光ホームページ 歴史編

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